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「嘘でも前に」行けるうちは前に行く。
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重い話。






最近、朝のニュースを見るとよくこんなニュースを見る。
『生後18日の乳児を窒息死』
『自分の子供の顔にクッションを押し付け殺害』

どうして生まれてから『生きる』という『行為』を知る前に死ななきゃいけないんだろう。
幸せな家庭に生まれた者は
関係のない人間の出来心によって殺される。
不幸な家庭に生まれた者は
身内であるはずの人間に虐待され殺される。
まだ、幸せもなにも知らない
だからこそ命を落とすこともそこまで大きくないかもしれない。
それでも一人の人間として生まれて来たんだ
誰にだって幸せを知る権利があるのに。
なぜ殺されなければならないの?
なぜ殺さなければならないの?

人間、なんだかんだいっても1番大切なものは『いのち』だと思う。
いのちが無ければお金を使うことができない
いのちが無ければ喜ぶこともできない
いのちが無ければしあわせも不幸も訪れやしない
いのちが無ければ辛いことを知らなくてすむけれど
しあわせか辛いかさえわからない



あたしと同じ年代の人は
『死にたい』
と思ったことがない人の方が少ないと思う。
あたしは何度も何度も
『自分が死ねば、必ず喜んでくれる人がいる』
と思った。
タオルで自分の首を絞めてみたり
リストカットをしてみたこともあった。
でも、そういう行為をすると必ず涙が溢れてきた。
『死にたくない』『死にたくない』
頭のなかでそんな信号がちかちかと光りだす
頭の中はしあわせなこと、楽しみなことがどんどん溢れてくる。
『そういえば明後日遊ぶ約束してたっけ』
『明日の夕ごはんはあたしが好きなグラタンだって言ってたなぁ』
そんなささいな幸せでも、生きたいと願ってしまう自分がいる

ささいな幸せでも
生きることが嬉しくなる

なにもしらない赤ちゃんがいのちを落とす
そんないのちは本当にが生まれる意味があったのだろうか?

いのちは生きている人の
たったひとつのたからもの
どれだけ自分が嫌いになっても、必ず楽しいことがあるから
ひとつしかないたからものを
捨てる、奪う、
そんな行為がなくなる世の中になればいいのに。
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